<私の体験>
両親の介護、母の統合失調症・認知症ーーー私自身、誰にも言えず悩みを抱えてきました。だからこそ、今、同じように苦しんでいる方のお話に耳を傾け、寄り添っていきたい。高齢者の相談支援経験を活かしながら、「感情に寄り添う介護のカウンセリング」をしています。
目次
- 1.私の家族
- 2.母の異変と「統合失調症」の診断(※体験談)
- 3.母の症状に対する楽観視と気付かぬ進行
- 4.父の突然の異変と母の「認知症」の診断(※体験談)
- 5.介護に前向きになれた転機とは?
- 6.そして、前向きに

家族の介護に関する悩み。
誰かに、話だけでも聞いてもらいたい。
でも、こんな話、誰にも打ち明けられない。
私は、介護の悩みを専門とするカウンセラーとして活動しています。
介護の悩み、私も抱えていました。私の両親が生活を送る上で支援が必要な状態となったからです。
今も私が、生活の支援をしています。
これから先の記述は、私が体験したお話です。
一人で悩みを抱えていた当時の私にとっても、誰かに話を聞いてもらいたい、という思いがありました。
これまでの体験を振り返ることで、今、この記事をご覧になっている方へも、話を聞いてもらいたいのだと、
改めて思います。
1.私の家族

両親と父方祖父母の4人家族の家に私は産まれました。
母は生まれつき聴覚障害があり、補聴器が手放せません。
補聴器を付けていても会話を聞き取れないことがあり、身振り手振りで伝えています。
私が幼少時代、母と父方祖父母とは確執がありました。いわゆる嫁、姑問題です。
何か問題があるたびに、家族内の雰囲気は険悪な状態でした。
「仲良くしてほしい。自分はどうすればいいんだろう」。
兄弟のいない私にとって、友人に話せるわけもなく、自分の気持ちを共有できる人はいませんでした。
気持ちを抱えこむしかなかったのだと思います。
2.母の異変と「統合失調症」の診断(※体験談)
社会人となり、実家の近くの民間企業にて私は働き始めました。この頃は、家族内の険悪さは幼少期に比べ
減少していました。なぜなら祖父母も年齢を重ね、病気を患い、徐々に健康状態が悪化していったからです。
加えて、母にも、ある変化が見られるようになりました。

夜中に、隣の家に向かって、物音を出す、灯りを点けたり消したりする、といった行動です。
何をしているのか尋ねると、「隣の家の人が嫌がらせをするから仕返している」と。
私や父は、隣人からそのような行動をされているという認識はまったくありません。
母に助言しても聞く耳をもってくれませんでした。
当時の私の思いとしては、母がまたやっている、何か嫌な感じはするが、放っておいたらいずれやめる
だろうと、見て見ぬふりをしてしまいました。
今思えば、この変化が、統合失調症の出現の始まりだったのです。

3.母の症状に対する楽観視と、症状の気付かぬ進行

社会人5年目を過ぎたあたりから、祖父母の状態はよりいっそう悪化していきました。
祖父母の介護を父が自宅で担っていましたが、祖母がアルツハイマー型認知症を発症。父の負担も増えてきた
ことにより、祖母は介護施設に入所。祖父の介護に専念するため、父は仕事を辞めました。
祖父は最後まで自宅、祖母は施設での安定した生活を送ることができ、祖父母は天寿を全うしました。
その後、私は民間企業を辞め、社会福祉の仕事に就くことを選び、福祉専門職の公務員として働き始めます。
祖父母や父のことが私の進路に少なからず影響していたのだと思います。
第二の仕事人生の開始とともに実家を離れ、人生をともに過ごすパートナーに巡り合い、結婚。子宝にも恵まれました。
孫の姿を見せに実家に行くと、いつもと変わらない母の姿があり、母の症状は小康状態になっているのだと信じていました。
ですが、母の症状は私の知らないところで確実に進行していたのです。
4.父の突然の異変と母の「認知症」の診断(※体験談)

そのような矢先、突然、人生の転機が訪れます。父が癌を発症。抗癌剤治療の始まりです。
今まで、私の頭の中では当たり前のように存在していた父。その父がいなくなるかもしれないと実感した時、
頭の中が真っ白になりました。「どうすればいいんだろう」という言葉しか浮かびません。私の頭の上に、
目に見えない重い石がズンと乗っかるような感覚。私一人で支えていくしかない。その重みは、私がこの先、
背負う重圧だったのかもしれません。
重圧は、両親を支えていくことに対してのものだと、後から考えれば、そう思います。この頃、母は、
統合失調症に加え、アルツハイマー型認知症の初期症状も発症していました。物の置き場を忘れ、よく探す。
同じ物を何個も購入する。日常的に起きる出来事です。そのような行動に対して、父が対応していました。
その父を私が支えていくことに加えて、父が支えていた母も支える、ということへの重圧。
5.介護に前向きになれた転機とは?

妻には状況を打ち明けました。私達の子どももまだ幼いことを考えると、私の家庭のことも考えなくては
いけません。他の誰にも相談はできない、と思っていました。なぜなら、私と両親の問題だから。
両親の子は私ひとりである以上、私が対応するしかない。問題をひとりで抱え込んでしまったのです。
そうは言っても仕事や家庭生活などの日常はやってきます。気持ちが定まらない時期がしばらく続きました。
その当時、私は高齢者の総合相談を受ける仕事に就いていました。様々な事情を抱えた高齢者やその家族
からの相談を受けて、必要な支援につなげていく仕事。私が抱えている事情はいったん心の内側に抱え込み
ながら、日々、目の前の相談者の話を聞いていました。相談者の一人であり、認知症の母の介護をすること
になった60歳代の娘さん。その娘さんの言葉が、その後の私を変えました。
「あなたに話せてよかった。誰かに聞いてもらいたかったの。でも、誰にでも言えることではないの。
6.そして、前向きに

「言葉の力」がこれほどまでに人の心を軽くするのかと実感した瞬間です。私だけではなかったんだ。
私と同じような事情を抱え、同じように、誰にも言えなかった。私の事情はその娘さんにもちろん伝えて
いなかったのですが、私の気持ちを分かってもらえているようで、肩の荷が軽くなったような感覚でした。
それ以降、両親への支援についての私の考え方は変わりました。支援をしなければいけないという義務感
から、支援をしていきたいという前向きな捉え方へと。当時の仕事では両親への支援との両立が難しかった
ため、退職を決断し、今の私にできる仕事をしていきたいと考えるようになりました。
私が相談を受けた娘さんは、親の介護という話題は誰にでも言えることではないと話していました。でも、
自分の境遇を誰かに聞いてもらうことで心が軽くなった。誰にでも言えることではないからこそ、同じような
経験をした相手に対しては、気持ちや悩みをより共感することができると、私は思います。
言葉の力で救われた私が、言葉の力で今度は誰かの心に寄り添い、そっと背中を後押ししていける存在で
ありたい。私のカウンセラーとしての拠り所となっています。

以上が私がこれまで体験してきたこととなります。ここまでご覧くださり、ありがとうございます。
この先も私の介護は続いていきます。そして、私の話はあなたの悩みに寄り添うための一歩でもあります。
もし今、抱えている気持ちを「誰かに話したい」と思っていたら、まずは一度だけお話しをしてみませんか?
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お気軽にご相談くださいね。